『悪魔の手毬唄』が最高傑作と言われる理由

前作『犬神家の一族』の様な派手さやインパクトとは異なり、本作は「哀しみ」や「情愛」に焦点を当てた、極めて密度の高い人間ドラマです。なぜ『悪魔の手毬唄』はシリーズ最高傑作として今なお語り継がれるのか、その尽きない魅力を紐解いていきます。<ネタバレ>

【1. 映画史に残る完璧なアバンタイトルと市川崑の映像美】
天才は映画冒頭0秒から凄まじい手腕を見せつける。
枯れたブドウ畑で抱き合う若い男女。不吉な効果音と「鬼首村」の明朝体文字。これだけで、そこはかとない不気味な空気が流れます。
開始4分で主要人物の人間関係をほぼ説明し、6分で最重要人物の放庵が登場。どぶの様に濁った黄緑色の温泉につかり首だけが出ている後ろ姿はまるで生首のよう。おどろおどろしいが、絵画の様に美しい。そして彼から鬼首村の地名の呪われた由来を聞く。この亀の湯での必然的な二人の出会いからすべてが始まります。

リカのもとを訪れた嘉平が「今ここへ来るんで人食い沼のそば通ったらな…ふいっと20年前のあの忌まわしい事件を思い出してなぁ…」と語り、リカが食い気味に「言わんといてくださいあの沼の事は」と返す意味深なやり取りから暗転、タイトルバックへ。
村井邦彦さんの『哀しみのバラード』が流れ、「人食い沼」を歩く金田一をバックに、映し出される明朝体テロップ。まさに超絶美しいグラフィックアートです。これらは恐らく家の中から金田一の様子を伺う放庵の目線で描かれており、曲が終わると同時に金田一はそのまま放庵宅へと到着します。つまり、私たちが音楽と映像美に魅せられている間にも、物語の時間は確実に進んでいたということです。演出の美しさと効率性を完璧に両立させる、どこまでも無駄がない市川崑監督の剛腕です。
こんな見事なアバンタイトルは見たことがありません。

【2. 「情愛」と「悲劇」が織りなす人間ドラマを深める久里子亭脚本の技】
稀代のすけこましが撒いた種。
山奥の寒村で短時間で簡単に女性たちを籠絡していく恩田(弁士:源治郎)の強烈な邪魅と、それにただただ翻弄され騙されていく村人たち。それは、現代人は知る由もない当時の弁士という職業で醸成された特殊性によるものでしょう。当時の人気弁士は今で言うトップインフルエンサーやスーパー芸能人。ド田舎者達からすれば眩しいほどのオーラをまとっていたに違いない。当然口も達者で、田舎者を騙すことなど造作もなかったはずです。そしてそれは同時に別所、由良、仁礼への復讐を果たす快楽に繋がっていたのかもしれない…。

三味線弾きの女芸人・青池リカ。
まず彼女の素性は劇中では全く明かされません。昭和7年の女芸人という経歴を考えると、恐らく幼少期から壮絶な人生を歩んできたのでしょう。堅気の生活が送れるわけもなく、生き抜くために人に好かれる術を身につけ、それが結果的にも職業的にも、優れた演技力や変装術(おはんへの完璧な扮装と声色の偽り)という「芸達者さ」に繋がっている。ああ見えて身のこなしも素早く、腕力も相当あります(劇中の「みなし殺人」の実行方法からもそれが伺えます)。
彼女は孤児で、本当の愛情を知らなかったのかもしれない。だからこそ源治郎を盲目的に愛し続け、愛する歌名雄と里子のために次々と惨劇を重ねていった。そんな罪業の数々も里子の流した血によって終わりを告げる……。
息子は守ったが、娘は我が手で殺してしまった。そんな抱えきれない数奇な宿命を描き切らず、表情だけで全てを語らせ、観客に想像の余白を残す。これこそが、この映画ならではの圧倒的な奥行きです。

この村で最初の事件が起きた昭和7年は、満州事変の翌年であり、五・一五事件が起きた年。大量失業と農村窮乏という、日本が最も貧しかった時代のひとつです。いわば混乱期の渦に飲み込まれた人々を、劇中で過度な注釈もつけず年号だけで示し、観客の想像力に委ねる。そんな潔さがこの脚本にはあります。

【3. 岸惠子が体現した「超絶難易度」の役柄と圧倒的演技】
老いてもなお隠しきれない美貌と垢抜けた佇まい。だからこそ、どこか「天然」を装う術でも持っていなければ、周囲の嫉妬をかわしながら未亡人として生き抜くことは難しかったはずです。彼女の目くばせひとつで、そうした背景まで感じさせる人物造形が見事です。

20年前に自らが殺害した夫を思い続け、その罪を隠し続ける。息子を守る使命感と愛情、蔵に引きこもる娘を思う気持ちと贖罪。そして村人や社会に対する後ろめたさや憎悪。かなり複雑に絡み合う精神描写に加えて、子供たちの友人を殺害していくという重罪。全てを隠し、追い詰められる素振りも見せず淡々と生活する……。列挙しただけでも、ひとつひとつの表情にどれだけの複雑な感情が乗っかっているか想像に難くないでしょう。

なかでも「人食い沼」でのラストシーンの表情。幾重にも重なる複雑な感情を込めた岸惠子さんの演技は、何度観ても胸が締めつけられます。

オールスターキャストの凄み
ひょうひょうとしながらも、鋭い洞察を見せる石坂浩二さんの金田一や、朴訥としながらも芯のある演技で人物像を積み上げる若山富三郎さんの磯川警部。怪演の中村伸郎さんは白い巨塔(1978)の一年前の出演で、実は二人の東教授の共演でした。
北公次さん、草笛光子さん、山岡久乃さん、大滝秀治さん、加藤武さん等々、歴史的名演を見せる豪華キャスト陣の存在も本作の大きな魅力ですが、今回は物語の核となる青池リカ役・岸惠子さんにフォーカスしてお届けしました。

【4. 石坂浩二さんが語る、岸惠子さんの知性と佇まい】
「監督が何を考え、何を求めているのか、私には汲み取りきれない部分を、岸さんが言葉にして説明してくださったことがありました。それは岸さん自身の知性や感性があってこそだったのだと思います。私にとっては本当に教わることの多い方でした。岸さんの美しさと、聡明で凛とした佇まいは、今も鮮明に記憶に残っています。」

幾多の奇跡が重なって完成した、日本映画史に残るマスターピース。それは岸惠子さんという存在があってこその不朽の名作であることに、間違いはありません。

心よりご冥福をお祈りします。

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